日本折扇文化探析(2)

2扇の起源と発展 扇子は扇いで涼を取るための道具である。扇子は形によって団扇と扇とを分ける。団扇は普通は細く削った竹の骨に紙・絹などを張る


2扇の起源と発展

 扇子は扇いで涼を取るための道具である。扇子は形によって団扇と扇とを分ける。団扇は普通は細く削った竹の骨に紙・絹などを張る。形は円形・角形などがある。団扇は我が国では歴史がはるかに悠久である。早くも原始社会でうちの祖先が激しく照りつける太陽を耐えられないから植物或いは鳥類の羽で団扇を作る。虞舜時代では、舜は天下の賢人を探すために“五明扇”と言われる扇子を作る。以上は団扇の起源である。それに対して、扇は竹や木を骨にして一端に軸を通して要とし、それに紙を張り折り畳めるようにしたものである。時にはセンス・末広とも言える。団扇は早くも我が国に出現する。しかし、意外なことには、扇は正真正銘に舶来品である。紀元663年で中国と朝鮮と日本との三国の間に白村江の戦いを起こした。当時、朝鮮は新羅と百済とを分けた。白村江で唐・新羅軍と日本・百済軍とが戦った。結局、百済を救援した日本軍は敗れ、百済は滅亡した。日本は朝鮮進出を断念して国内の政治を専念していた。これをきっかけにして日本は唐の国力が強大だということを見た。日本の飛鳥時代では聖徳太子をリーダーとして中国の唐を学び始め、日本唐風文化の幕を開けた。おおよそ中国の団扇はこの時日本に伝える。日本の職人は中国の団扇に基づいて紙を張り折り畳めるようにした扇を発明する。そして、北宋時期で中国に伝える。                                

3扇の構成・分類と機能

3.1扇の構成

 扇の構成は骨、扇面、要と責四つの部分からなっている。まずは骨、骨の材質は一般的には竹製または木製の物が多く、先端部ほど薄く細くなるテーパ構造になっている。大抵の扇子の骨は細長く、折り畳んだ和紙を張って開くと段になるように展開する。骨組みのうち一番外側の部分「親骨」はとくに太く、内側の骨とは逆に先端部ほど太くなっている。親骨に装飾として漆塗りや蒔絵などの細工が施されているものもある。また象牙、鼈甲なども骨の素材とすることがあるが、これはもっぱら洋扇で使われる。白檀などの香木を平たく削ったものを重ねて作られる扇子があるが、この形式の扇子はすたれ気味であり、紙を貼ったものが主流である。次は扇面、扇ぐ時に風を送る部位である。骨が完全に開ききらないように固定する働きもある。本来は「糊地」という加工した和紙を貼るが、合成繊維や布を貼ったものもある。この扇面に絵を描く必要から湾曲した形状「いわゆる扇形」の紙に描く扇絵と呼ばれる日本画の形式が発展した。この扇絵を得意としたのが、俵屋宗達であると言われている。または要、扇を開く際に根本で止めるものである。扇子の要は、金属やプラスチック、鯨ひげなどで骨を束ねている。この部位が壊れると扇子としての用をなさなくなるため、最も重要な部分である。ここから、「肝心要」の語源となった。なお野球で球場を扇に喩えて要に位置し、守備陣の要所となることから捕手を指して「扇の要」と呼ぶことがある。最後は責、扇を止める帯状の軸である。以上は扇子の構成部分である。

3.2扇の分類

 扇は使用方法によって種類がいろいろある。大体は以下のように分ける。冬の扇は檜扇或いは中啓とも言われる。主に儀礼用である。夏の扇は時々に蝙蝠扇とも言われる。現在一般に市販されている両面貼りの骨の多い扇子も夏の扇である。軍扇は文字通りに昔武将が戦場に携えた扇である。鉄扇は親骨を鉄製にした扇ものである。携帯用の護身具、または鍛錬具として用いられる。舞扇は日本舞踊や歌舞伎で使われる。祝儀扇は冠婚葬祭に用いられる扇である。唐扇あるいは「中国扇」中国大陸で作られた扇である。日本から伝わった扇が中国でも作られるようになり、日本の扇が骨の片面にだけに紙を貼っていたのに対し、両面貼りとして骨の数も多くなった。この形式の扇は日本に逆輸入され、現在、日本の夏に見られる扇子の多くはこの形式によるものである。